
✦・『こころがわかるとやさしくなれる』・✦
わかると、ほどける。そして整う。
”自分らしく生きる勇気”を後押しするブログ
こんにちは、柘植かおりです。
🌱嫌われたかも…で心がいっぱいになるとき
相手からなんとなく距離を取られた気がする。
目を合わせてくれなかったのが冷たく感じて引きずってしまう。
LINEの返事が遅いだけで、私何かしたかな…と考えてしまう。
「嫌われたかも」というサインに不安になって、振る舞いを調整、疲れてしまう。
そしてそんな自分に、がっかりしてしまったり。
そんなことはありませんか?
その人が直接意地悪してこなくても、もう会わない状態であっても、
誰かが自分を嫌っていると思うだけで、心が沈んで、幸せが欠けたような、生きてるこの場所が冷たくなるようなそんな感じがする。
これは、人との関係を大切にしている人が、感じやすい心の痛みだと思います。
言葉にできないくらいの重さと息苦しさがあって、でも他の誰かに簡単に「気にしすぎ」とは言われたくないような、そんな繊細な痛みなんですよね。
🌱なぜこんなにも「嫌われること」がつらいのか?
世間的には「割り切ればいいのに」と言われることもあるかもしれません。
「実害ないなら関係ないからいいでしょ」と言われても、関係は「ある」んですよね。
このように感じるのは、決しておかしいことではなくて、心がそう感じる理由がちゃんとあるのです。
割り切れないのは、心が「感情」で世界を記憶しているから。
頭は理屈で動くけど、心は体験と感情で動きます。
例えば子どもの頃、自分を出したり、怒ったり、間違えたりしたときに「それでも大丈夫」と受けとめてもらえる経験が少なかった人は、
「誰かに嫌われたら、自分の存在がゆらぐ」
「好かれていない=見捨てられる=危険」
という感覚を、無意識のうちに心にしみ込ませてしまうことがあります。
だから、ただの「相性の不一致」でさえも、「私はいらない存在かも」に直結してしまうことがあるんですね。
そして、誠実に生きてきたからこそ、
・他者に不快を与えたくない
・正しくありたい
・誤解されたくない
という気持ちが強くて、だからこそ、ちょっとしたズレや拒絶が「全人格否定」に感じてしまうのかもしれません。
完璧な人なら嫌われるはずがない。だから嫌われたということは、私がどこかダメな人間だという証明。
「好かれる人」=良い人、「嫌われる人」=どこか悪い人
つまり、悪く思われるってことは、「私の欠陥」「人として失格」。
そんな風に学んでこれまで周りに受け入れてもらえるように、頑張ってきたのだと思います。
🌱「嫌われる=ダメ」ではない理由
そして、嫌われるのが怖いと思う人に忘れてほしくないことがあります。
たとえ誰かに誤解されても、好かれなかったとしても、それは「あなたの全て」が否定されたわけではない、ということ。
人に嫌われることは、人格の欠陥ではない。相性の「自然な差」に過ぎないことも、たくさんある。
嫌われるということは、単に「誰かに合わなかった」だけ。それは決して「あなたの価値がない」という証明ではありません。
「嫌われる経験」は、あなたの人間性が多面的で豊かな証拠。
なぜなら、何も主張せず、感情も見せず、波風も立てない「無色透明」であれば、嫌われることは少ないから。
でも、
・自分の思いを持っている
・感じたことに丁寧に向き合っている
・本当のことを伝えようとしている
そうであれば、どうしても誰かの価値観とすれ違うこともあります。
そして、そういう自己表現は「私という人間を生きている証」でもあるのです。
🌱「嫌われた=自分の否定」から抜け出せる?
「嫌われたくない」は、「つながりたい」という願いを含んでいます。
だから、「私は誰と、どうつながりたいのか」まで丁寧に見てあげると、少しずつ、「すべての人に好かれなくてもいい」という心の自由が芽生えていきます。
「嫌われた=自分の否定」から抜け出せるようなヒントをここに置いておきますね。
✅ 自分の価値を、「他人の評価」から切り離して語ってみる
「私は、〇〇なことを大切にしている人」
「私は、思いやりの中に本音も大事にしたい人」
→ 他人がどう思うかと関係なく、「私は私」と語れる言葉を育てていく。
✅ 「嫌われること」と「ダメな人」の間に「問い」を挟む
「私がダメだから嫌われたのかな?」
→「それ、本当に『すべて』が私のせい?」
→「相手の価値観や状態も関係してない?」
→ 「ダメな人」ではなく、「合わなかった関係性」という視点に切り替えていく。
✅ 「私」という人間にもう一度出会いなおす
「もし誰かに嫌われたとしても、私として持ち続けたいものって、なんだろう?」
「誰かに否定されたとしても、抱きしめてあげたいと思う自分の一面って、なんだろう?」
→ これが、「他人に揺さぶられない、自分に根づいた安心感」の土台になっていきます。
ピンときたものがありましたら、それを少しだけ意識して過ごしてみてくださいね。
🍀最後に
「嫌われたら、私は存在することを許されない」
そんな感覚を、心のどこかに抱えていませんか?
「好かれている私」だけが、自分として認められる。
「嫌われている私」からは、目をそらしたい、なかったことにしたい。
でも、本当は
その「認められない私」を誰かに救ってほしかった。
「それでもあなたは大丈夫だよ」と、誰かに抱きしめてほしかった。
その願いは、これまで届かなかったかもしれません。
恥ずかしさと一緒に飲み込んで、自分でも見ないふりをしてきたのかもしれません。
だから改めて、こんな提案をしますね。
「傷ついた私」「否定された私」にも、
目を向けてあげることはできますか?
「気にしないようにしろ」と自分を叱らなくていい。
「嫌われてもいいんだ」と無理に納得しなくていい。
「自分をどう愛するか」という選択を、自分に返していくという提案です。
誰かに否定されたそのとき、
自分まで自分を見放すのか、
それとも、自分だけは、自分の味方でい続けるのか。
その選択は、いつもあなたの手の中にあります。
「私は、誰かに嫌われたとしても、私を見捨てない」
「私は、自分をわかってあげる、信じている」
そう思えたとき、
あなたの中にある孤独が、すこしだけほどけていくかもしれません。
そしてきっと、誰かに好かれることを過大に期待しなくても、
あなたがあなたの味方でいるなら、世界はきっと、もう少しやさしくなります。
あなたの幸せを心から応援しています。