
こんにちは、心理カウンセラーの柘植かおりです。このページをご覧いただいてありがとうございます。
ここでは、「ちゃんとしなくちゃ」といつも気を張って頑張るうちに、生きることが苦しくなってしまった人に向けて、この記事を書いています。
読み進めていただくことで、今あなたの心の中で何が起こっているのかが分かり、ホッと安心できるヒントがきっと見つかるはずです。
いつも「ちゃんとしなきゃ」と気を張ってしんどい人の共通の悩み
この支援室は、「日々のしんどさを軽くしたい」「もっと自分らしく生きたい」など、生活や生き方に密着した身近な場所としてご利用いただいていまして、
「心の病気というわけではないけれど、毎日がとにかくしんどい」そんな方がお越しになります。
そういった日々の悩みに寄り添う場だからこそ、お仕事や恋愛、ご家族のことなど、リアルな人生相談ばかりなんですね。
そして、その中でも本当に多くの悩みに共通しているのが、「ちゃんとしなくちゃ」という思いです。
「ちゃんと仕事のできる自分でいなくては」
「ちゃんとしたパートナーや親でいなくては」
「人として、ちゃんとした生き方をしなければ」
そうやって、自分なりに良い状態を目指して一生懸命に頑張っている。
なのに、なぜか毎日がどんどん苦しくなっていく。
それでも「ちゃんとした自分」でいなければいけないと思うと、周りの人に「苦しい」「助けて」の一言が言えない…。
そんな風に、誰にも弱音が吐けないまま、いつも気を張って頑張っているうちに「生きることが苦しくなってしまった」という方が、かなり多いと感じています。
そんな、誰にも弱音を吐けないまま、「ちゃんとした私」を続けるのに限界を感じている人を、ここでは敬愛と親しみを込めて
「ちゃんとさん」と呼ばせていただきますね。
もちろん、 お一人おひとりのストーリーはどれも特別で、決して一括りにできるものではないのですが、
ただ、お越しくださるみなさんに共通する“一生懸命さ”を、私なりにひとつの言葉として表現させてもらいました。
「ちゃんとさん」が抱えているお悩みには、このような傾向があります。
【対人関係でのしんどさ】
- 人に合わせすぎてしまう、断れない
- 人からの低評価や、嫌われることが怖い
- ちょとした人の言葉がすぐ刺さる
- 人と本音でつながれない、人間関係がうまくいかない
- 大丈夫なフリをしているけれど、本当はしんどい
【自分自身に対するしんどさ】
- 自信がない、自分がない感じ
- 何がしたいかわからない、自分がわからない
- 考えすぎて動けない、思考で頭がいっぱい
- すぐ自己嫌悪に襲われる
- 頑張っているのに満たされない、常に気を張っている
- 時々感情がコントロールできない
- 生きづらい、なんとなくずっとしんどい
ちゃんとしようと頑張っているのに、いつも満たされない。
人の言動が気になるし、苦痛を感じる人間関係の中から抜け出せずにいることも、決して珍しいことではありません。
でも、私は知っています。
「ちゃんとさん」は、本当はとても真面目で優しく、たくさんの可能性を秘めている素晴らしい方なのだということを。
次は、そんな「ちゃんとさん」がこれ以上苦しくならないために知っておきたいポイントを、心理的視点からお話ししていきますね。
ちゃんとさんの苦しさを、心理学的に言葉にしてみます
ここから、「ちゃんとさん」が抱えがちな代表的なお悩みを一つずつ取り上げて、そのしんどさの裏側で一体どんなことが起きているのか、心理学の視点からひも解いていこうと思います。
なぜ、このお話をするのかというと、
「どうして私はこうなんだろう…」と自分を責めてしまうのを、少しでも和らげられたらという思いから。
悩んでいる時って、自分のことを否定的に思いがちですよね。見えないことだからなおさら。
それがさらに自分を苦しくされてしまうときがあります。
だから、何が起こっているか読むことで、人としての心の動きなんだな、と理解してもらえたらと思っています。
そして、まず【前提】としてお伝えしたいのですが、
それは、これからお話しする心の動きは、あなたが「わざと」やっているわけでは決してない、ということです。
そのほとんどは、過去の傷つきや経験から、心を守るために「無意識に反応してしまっていること」ばかり。
「あぁ、私はこれまで、そうやって一生懸命に自分を守りながら生き抜いてきたんだな」という理解の目で、ぜひ読み進めてみて下さいね。
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認められたい・価値を証明したい(承認と価値証明)

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ちゃんとさんを語る上で、重要な要素となるのは、「認められたい」という切実な欲求です。
これは、よく世間で「承認欲求」とライトに言われるものよりも、もっとずっと深いところに根ざしていて、その本質は、
「どうぞ私を認めてください。価値があると言ってください。私をここにいさせてください。」
という、祈りにも似た強い想いなんですよね。
自分という存在に、何か特別な価値があると証明しなければ、この場所に安心していられないような感覚。
だからこそ、「もっと有能でいよう」「もっと優しくあろう」「もっと完璧でいよう」と、自分に重い鎧を着せて必死に武装していくのですね。
本当は、ただ安心したいのです。
「あなたは素敵だよ、そのままで大丈夫だよ」と言ってほしいのです。
ですが、いくら周囲から認められる言葉をかけられても、実際に心の底から満たされる感覚を味わうことが難しいんです。
どうしてかというと、自分自身が、「そのままの自分」の価値をどうしても信じられないから。
自分には付加価値が必要だと信じているからです。
そのままの自分でいいと思えないのは、子どもの頃の親との関係の中で、「私はダメな子なんだ」と思い込んでしまうような体験があったから、…ということは心理セッションではよく出てきます。
じゃあ、「自分はそのままでも素敵だ」と思えばいいんですね、というとそんな簡単な話でもなく。
少しつっこんで書くと、
ひとつのパターンですが、「私はダメな子です」という思い自体が、親との価値観を共有する、【精神的つながり(絆)】になってしまっている、そんなケースもあるんですよね。
「ダメな子」でいることで、守ってもらえる子どもでいられるような、そんな安心感が無意識にあったり…。
(もちろんいろんなケースがあります)
ひとりの人間として立ち上がって生きることって、大人でもパワーがいることなんですね。
力を入れようとすると、過去の傷が痛むのです。
歩こうとすると、ものすごい孤独感がわくのです。
「ちゃんとさん」は、心の奥に痛みを抱えながらも、ちゃんとしようと必死にやってきて、なんとか自分の価値を証明することで、どうにか「自分の居場所」を築こうと、今日まで頑張り続けてきた人なんだということです。
人に認められたい、自分の価値を証明したい。
その思いがここまであなたの支えになってきてくれていたのは、間違いないです。
認められたい気持ちを持っている自分、
これまでたくさんの価値を証明してきた自分の力、
どうぞ認めてあげてくださいね。
人に合わせすぎてしまう(過剰適応)

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人に合わせすぎてしまう人の心は、まるで【丸いボール】が、狭い【四角い箱】にギュウギュウに押し込められているかのようです。
世間が認める「ちゃんとした人」「恥ずかしくない人」、そんな基準から外れないように、強い圧力で自分の形を整えている。
それって、本当に疲れることなんですよね。
空気を読む。
相手が何を求めているのか考える。
迷惑をかけないように気をつける。
相手が嫌な思いをしないように振る舞う。
もちろん、これは社会の中で生きていく上で大切な力。
気配りができることも、相手を思いやれることも、本当に素敵なことです。
でも、その力が強く働きすぎると、困ったことが起こります。
外側ばかりを見ているうちに、
「本当はどうしたい?」
「本当は嫌じゃなかった?」
「本当は疲れていない?」
という、内側の自分の声が聞こえなくなってしまうんですよね。
こうして外側に合わせ続けているうちに、気づけば「自分がなくなっていくような感覚」になってしまう。
そんなお話もよくお聞きしますが、それも無理のないことだと思います。
「自分の本音を出したら、嫌われてしまうんじゃないか」
「人が離れていくのではないか」
そう思うと、すごく怖いですよね。だからこそ、嫌われないために、いつも外側の世界(周りの反応)ばかりを見てしまう。
実はカウンセリングでお話を聴いていると、この「外ばかりを見て、周りに合わせてしまう」というお話は、子どものころの親とのかかわり方が今に影響していることがよくあります。
家族の中で「いい子」でいたり、
親の愚痴聞きや世話役をしたり、
親の顔色をつねにうかがっていたり、
雰囲気が悪いときに明るい調整役を演じたり。
どうしてそうしていたかを振り返ると、愛されたい気持ちや、家族が幸せでいられるように、子どもながらに精一杯頑張っていたから。
ただ、当時は子どもですから、周りと自分の気持ちの折り合いをつける、なんてことは難しいわけです。
そうすると、子どもによっては「とにかく相手に合わせて我慢」というような方法で切り抜けようとします。
それはものすごくしんどいことではあるけれど、「つながりを壊さない安心感」がありました。
その頃に身につけた
「合わせることで危険を回避できる、安心できる」
という感覚は、大人になってからも心に残ります。
特に、「認められたい」「嫌われたくない」「見捨てられたくない」と、人が離れていくように感じる場面では、
昔のパターンが自然と出てきて、自分でも気づかないうちに相手に合わせすぎてしまうということが起こるんです。
「人に合わせすぎる」は自己犠牲です。
それを自分でもわかっているので、相手にその大変さをわかってほしいと思いつつ、
でも実際、相手に合わせられると居心地が悪くなったり、相手の負担の方が大きくなると罪悪感を持ったりします。
結局、自分が負担を背負っている方が落ち着くのですが、その安心感があるから、バランスの崩れたアンフェアな関係になりがちです。
時々、どうしようもなく怒りがわいたり、キレそうになることもあると思います。
周りが敵に見えることもあると思います。
周りの反応だけでなく、自分の内側の反応、普段自分を何気なく犠牲にしていないかに目を向けていくことも大切にしてみてくださいね。
✅ 適応についての詳しい記事はこちら
あなたはどのタイプ?適応の仕方で知るパーソナリティ6つのタイプ
期待に応えるほど、自分が消えていく(期待の受け止め方)

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期待されることは誇らしくもある反面、「がっかりされたくない」「できない人だと思われたくない」という強いプレッシャーを伴うものでもあります。
期待を「負担」として受け止める度合いが強いほど、心が重たくなってしまいますよね。
でもなぜ、そこまで期待を背負ってしまうのか。
根底にあるのは、「そのままの私じゃダメだ」という怖れ。
「相手の望み通りに動かなければ、自分の価値や居場所が消えてしまう」と感じるし、だからそれに応えることで安心したいんですよね。
その役割をまっとうできると、まるで自分の存在価値が証明されたような「あなたは役に立つ人だからここにいていいよ」という合格スタンプをもらえた感じがないでしょうか。
人の役に立てるのはもちろん嬉しいこと。なので、そう感じるのも自然なことです。
ただ、「そのままの私じゃダメだ」という怖れがあると、そのスタンプが「期待に応える役に立つ私」に押されたように感じるんですよね。
そして「ただいるだけの何もしない私」には誰もスタンプを押してくれない気がして、不安になる。
何より自分が自分に「そのままでいいよ」と太鼓判を押してあげられないからこそ、外から集めずにはいられません。
気づけば、いつも先回りして人の期待を察知し、それに応えようとする毎日。
けれども、そうして頑張るほど、「役に立つ私」だけが認められ、「そうではない私」は誰の目にも触れなくなっていく…。
周りからは「頼りになる人」と称賛されても、心の内側では「誰にも本当の自分を理解してもらえない」という深い孤独感が募っていくのです。
期待を背負いすぎる自分を、「断れないのがいけないんだ」「ただいい顔をしたいだけなんじゃないか」と責めてしまう方もいます。
でも、実際はもっと複雑ですよね。
期待をかけられた時の、必要とされる喜び。
「やるしかない」と逃げ道がなくなるような重圧や緊張。
一度応えたら二度とハードルを下げられないような恐怖や、応えられなければ自分の居場所が丸ごと消えてしまうような焦燥感。
逆に期待をかけられなかった時の、いらない人と言われたような見捨てられ感。
それは決して「いい顔をしたい」といったレベルのものではないはずです。
ちゃんとさんにとって期待に応え続けることは、本当の自分を犠牲にしてでも自分の居場所を死守したいという、自分の価値と生存をかけた選択なのです。
だから、期待に応えられたかそうでないかで、激しく気持ちが浮き沈みします。
見下される不安/人を見下してしまう

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ちゃんとさんは、ちゃんとしなきゃ!と思っているからこそ、
「バカにされたくない、見下されたくない」と、周囲の目を警戒して、ピリピリと気を張っていることがあります。
そして同時に、心の中で
「あの人は全然ちゃんとしていない」
「あの人は立場をわきまえない」
「人として恥ずかしい」と、
つい他人の欠点を探して、心の中で人を見下してしまい、そんな自分に自己嫌悪しています。
実は、「見下される不安」と「人を見下してしまう」は、根っこが完全に同じもの 。
ちゃんとさんの心の中には、
「ちゃんとしている人(上)」か
「ちゃんとしていない人(下)」かという、
極端な【上下の序列のモノサシ】がセットされていることがあるんです。
自分に対して厳しくそのモノサシを当てながら、無意識のうちに、同じように他人に対しても同じモノサシを当てている。
そうすることで「自分が周りと比べて大丈夫かどうか」を測っているわけです。
なので、基準に満たない人(サボっているように見える人、感情的な人など)を見ると、「私はあの人よりはマシだ」という優越感と共に安心感がわきます。
でもその安心は根本的な解決にはならないんです。
人を品定めすればするほど、「自分も周りからジャッジされる」という恐怖が、かえって強くなってしまいますから。
結果として、「見下されないために、もっとちゃんとしなきゃ!」と、さらに重い鎧をまとい、気を張ることになってしまうのです。
私は人のことを見下している、そんな自分に気づいたとき、 心底がっかりしたり、悲しくなったりするかもしれません。
でもそれは、
「お互いにそのままの自分で、安心してつながり合いたい」
と願っているから。
だからこそ、自分が怖れから相手をジャッジしてしまい、望んでいる関係性が築けないことに痛みを覚えるのですね。
こうして、つい人を見下してしまったり
人から見下されるのが怖くて虚勢を張ってしまうとき、
自分の性格が悪いのではないかと思う方もいますが、決してそうではありません。
「一瞬でも気を抜いたら、自分が一番下に落ちて、見捨てられてしまうかもしれない」
そんな安心できない崖っぷちに追い込まれているような、切迫した心の状態にいるからなんです。
見下される不安や、人を見下してしまう心の動きは、過去の痛みからくる強烈な恐怖の裏返し。
そもそも、人間は誰もが清廉潔白ではありません。心の中にたくさんの層があり、ひとことでは割り切れない、いろんな気持ちを同時に感じる生き物です。
「人間の心って、追い詰められると誰しもこんな仕組みが働くんだな」と、まずはご自身の揺れる心を、やわらかく理解して受け取ってあげてくださいね。
失敗が怖くて動けなくなる(失敗恐怖)

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もっとちゃんとしなければ、と思うほど、「失敗すること」がとっても怖くなってしまいますよね。
それは単なるミスする怖さ、ではなくて、
「人からガッカリされる恐怖」
「自分のダメさが露呈する恐怖」
が強いのです。
ちゃんとさんにとっては、たった一つの失敗が、 自分の存在すべての否定につながるような底知れない怖さに繋がっています。
失敗した後の、心理的・対人的な痛み。
「もし失敗したら、耐えきれないほどの恥ずかしい」
「成功しなければ、自分の価値が消えてしまうかもしれない」
その痛みはとても苦痛なので、人は無意識のうちにさまざまな回避策を講じるようになるんです。
・「動けなくなる」パターン:怖さのあまり頭の中で考えすぎてしまい、やるべきことを先延ばしにしたり、あえて「本気を出さない」ことで傷つくのを防ごうとしたりします。
・「やりすぎてしまう」パターン:ミスが絶対にないようにと、完璧を求めて何度も何度も確認を繰り返し、確認だけで疲れ果ててしまいます。
・「すべてを無くしたくなる」パターン:傷つくくらいなら最初から関わらないようにしたり、怖さに直面するくらいならと、急にすべてを投げ出してリセットしたくなったりします。
どれも形は違いますが、すべて「これ以上、傷つきたくない」という心の叫び。
こうして怖さを避けることで、一旦は落ち着くことはできるんです。
でも、ふと我に返って落ち着いたとき、今度はそんな自分に対して「なんて情けないんだろう」「根性が足りない」と、激しく自分を責めるターンがやってきて、苦しくなってしまうんですよね。
失敗恐怖は、目の前の危険を避けるための「安全弁」の様な役割を果たしてくれています。
ただ、長期的に見ると不利益になることも多いので、人生が停滞しているように感じるかもしれません。
いきなり「失敗しても大丈夫」なんて、思えなくて当然です。
「それくらい、私にとっては大切なことなんだよね」と、まずは怖がっている自分に、そっと寄り添ってあげてくださいね。
それから、失敗も成功も、選べないし、単なる出来事。
サイコロの出目と同じです。
出た数字によって、あなたの存在価値は変わるわけではありません。
あなたの価値はサイの目が決めるわけではないのです。
自分を責める脳内の声(自己批判)

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「なんであんなこと言ったの?」
「なんでこんなこともできないんだ!」
頭の中に、いつも自分を厳しくチェックし、監視している「脳内裁判官」がいる感じがしませんか?
この裁判官は、「もっとできるはずだ」とあなたを追い込み、一人反省会を開催させ、「どうせ私なんて」と呪いの言葉をかけてきます。
たまに嬉しいことがあっても、「調子に乗るなよ」とすかさず取り締まりにやってくるのです。
もし、この頭の中の声をそのままノートに書き出してみたら、びっくりするくらい冷たくて厳しい言葉を自分にかけていることに気づくはず。
自分の足りなさへの批判と、自分を罰する気持ち。
「自分を甘やかしたらダメになる」
「向上心がなくなったら終わりだ」
そんなふうに、自分を責めることが、自分をダメにしないための、「命綱」になっているのですよね。
では、なぜそんな命綱が必要なのでしょうか。
その根底にあるのは、「このままの自分ではいけない」という強い危機感。
今の私では足りない
そのままでは愛されない
気を抜いたら見捨てられる
そんな恐怖と戦いながら、自分を厳しく監視して、毎日を張り詰めた「サバイバルモード」で生き抜くしかないから、
脳内裁判官は、「自分を改善しなきゃ!」と、必死に厳しい言葉を投げかけてくるのです。
厳しく見張っていれば、傷つかずに済むし、愛される条件から外れずに済む。
自分から責めておけば、他人からもっとひどく責められないし、責められたとしてもダメージが軽減します。
つまり、あなたが今日まで自分を責め続けてきたのは、自分を危険にさらさないためなのですね。
そして、自分を責める言葉が日常にあると、頭の声が事実だと思ってしまうかもしれません。
でもその言葉たちは、自分を必死に奮い立たせるための「ムチ」であって、決して「真実」ではないんです。
それを心に留めておいてほしいと思っていますし、自己批判は罪と罰のいばらの道だといういことを、知ってほしいと願っています。
ちゃんとさんの心がラクになる、解決への道のり
ここまで、ちゃんとさんの悩みや苦しさの代表的なものをあげてみました。
自分の心の中で一体何が起こっているのか、少し謎が解けてきたでしょうか。
今感じている苦しさは、「こうしないと周りとうまくやっていけない」と、あなたが「これまで」生きてきた中で身につけてきたこと。
だから、「これから」生きていく中で今の自分に合うように変えていくことができるものなんです。
そのために、「私にはこういう苦しさがあるんだなぁ」と気づいていくことは、心がラクになるための、大きな一歩になるんですね。
なぜ気づきが一歩になるかというと、それは反応を選択に変えるためなんです。
過剰な反応だから苦しくなる
人に認められたい。
人に合わせたい。
周りの期待に応えたい。
こういう気持ちは、自然なものですし、人と関わって生きている以上、誰にでもある感覚なんですよね。
だから、この感覚を持っているあなたが悪いわけでも、何かの問題があるわけでもないんです。
でも、それが「深い悩み」に変わってしまうのは、自分を追い詰めるほどその思いが強くなってしまうときです。
「合わせたい」ではなく、「合わせなきゃ怖い」になってしまう。
「認められたい」ではなく、「認められない私は価値がない」と感じてしまう。
そこに、ちゃんとさんのしんどさがあります。
これは自分の意志でそうしているわけではなく、心が「自動的に反応してしまっている」状態。
たとえば、手にケガをしたら、痛む手を使わないように、私たちは無意識のうちにその手をかばって行動しますよね。
目に見えない「心の傷」も、まったく同じ。
痛みを抱えている部分を自然に避けようとしますし、そこが刺激されそうな場面に出会うと、どうしても過剰に反応してしまうのです。
過剰に反応するのは、心の「安全確保」
「また傷つくかもしれない」と感じるから、過剰に反応する。つまりこの反応は安全確保モードなのです。
人の表情を見て、言葉の意味を考えて、自分の反応を抑えて、失敗しないように見張って。
ちょっとの情報にも過敏になっている状態なので、少しの言葉に深く傷ついたり、怒りや不安が一気に出てきたりしても無理はありません。
自分でも、「どうしてこんなに反応してしまうんだろう」と思うくらい、心が大きく揺れてしまうこともあると思います。
だから、まずは「あ、今自分は過剰に反応(安全確保)しているな」と気づいて、モニターできるようになることが、落ち着きを取り戻す鍵です。
ただ、どんなふうに安全を確保しようとするのか、そのやり方は人によって本当にそれぞれですし、そしてその根強いパターンの多くは、子どもの頃の親子関係のなかで身につけてきたものです。
あなたを守るためのこの複雑な心の仕組みを、たった一人で紐解いていくのは、なかなか難しいと感じるかもしれません。
そのために、人間の心の仕組みを扱い、痛みを安全に癒やすための「心理療法」が、多くの専門家により研究されてきました。
どうにもならないしんどさを感じたときは、どうか一人で抱え込みすぎないで、心理セッションを頼ってみてくださいね。
最後に。私が心理カウンセラーとして、ここにいる理由
最後に、なぜ私がここで取り上げてきたような方を「ちゃんとさん」と名づけ、セッションで関わらせていただいているか、その理由をお話ししますね。
それは、私自身が「ちゃんとさん」だからです。
私は幼稚園のときに、すでに周りと比べて「自分は劣っている」という劣等感を持っていました。
-引っ込み思案で暗い性格。だから人に愛されないし、友だちもできないんだ。
そんな私がとった解決策は、「もっとちゃんとした素晴らしい自分」になること。
もっと「ちゃんと」愛される人になりたい。
そう願って、「自分であることをいかに捨てるか」に力を注いできました。
私にとっての「愛される人」は親の影響もあって、明るい性格で頭がよく、見た目が美しくて人にお金の迷惑をかけない謙虚な人。
そういう人を目指して、自分の気持ちを捨て、考えを捨て、振舞い方を捨て、恥ずかしくない自分になろうと努力してきたので、
社会に出てからはそれなりに評価されましたし、人当たりも良かったと思います。
でも。
取り繕った私は、やっぱり本当の私じゃないんです。
自分を無視してきたので、私は息ができなくなっていきました。
自分を押し殺してきたので、私の心は瀕死になっていきました。
だからなのでしょう。
自分がどこか「いびつ」である感覚がありました。
私は仕事で自分の価値を証明したいタイプだったので、そのジャンルでの反応が顕著だったのですが、
職場で自分がいかに人より有能であるかさりげなくアピールしたり(苦笑)、自分がいないと仕事が成立しないようにして、替えが効かない状態にしたり。
ホント無意識なんですけどね、そういうことをやってたんですよ。
いつも自分の価値証明が出来ているか不安で、だから、心中穏やかでないことも、人に対しての嫉妬で苦しくなることもたくさんありました。
内面の苦しさだけでなく、仕事を抱え込み過ぎて耳が聞こえなくなったり、倒れたりと身体に出ることも何度かあって。
当時は、本当に心も体もボロボロでした。
「自分はどこか壊れているのかもしれないな」
そんなふうに常にうっすら絶望していました。
自分のことは何となく気づいてはいたんです。
ちゃんとしなきゃと重い鎧をまとっていることや、人といると気を張り続けていること。
でも、それをやめたら私なんて誰からも認められない!
そう思ったら、それをやめることもままならず、どうしていいかわからなかったです。
そこから、たくさん癒しと学びと実践を続けて、心理カウンセラーになりました。
そして、私のようにそのままの自分でいられない、存在証明のために自分の心や身体を削る、「ちゃんとさん」にたくさんお会いしました。
世の中には私のような方が案外たくさんいるものです。
もちろん相談者さんは、私と全く同じように悩んでいるわけではないですし、内容もお仕事のこと、恋愛のこと、家族のことなどそれぞれ違うのですが、どこか私と同じ匂いがして、そしてとても愛おしい人たちです。
ちゃんとさんは、私から見ると、本当に真面目でやさしい人に見えるんです。
もちろん、きれいな思いや気持ちだけでなく、黒い感情やドロドロした思いも持っています。
そういった様々な気持ちを持ち合わせながら、でも人の役に立ちたい、自分だけ良ければいいわけではない、周りとも調和していきたい、そんな思いを持っている人が多いのです。
そういうやさしさを持っているからこそ、他人の目や軸が心に入り込み過ぎて、自分がしんどくなってしまうのですね。
そんな、かつての私と同じように悩む方の力になりたいと思いましたし、こうした方にこそ、私の経験や知識を最も活かせるのではないか、と思っています。
いま、私は一人の人間として時には心の揺れを感じながらも、「ちゃんとしなくちゃ」という恐れから抜けて、「自分であること」を実践しています。
あんなに自分のことが嫌で、自分以外の何者かになろうとしていた私が、
いつの間にか「最も自分らしさを活かせている」と感じるカウンセラーを職業とし、今ではプロのカウンセラーの育成に関わらせていただくような立場にもなりました。
今、人生の中で、最も自然な自分でラクに生きている、と感じています。
そういった私自身の体験と、相談者さんたちがその人として花開く過程に立ち会わせていただいて、ひしひしと感じるのは、
結局、私たちは自分以外の何者にもなれない。
そして、自分として生きる人生は、めちゃくちゃ幸せなんだ、ということです。
もし、あなたも「ちゃんとする」という価値証明の生き方に疲れているなら、
もう本当の自分で生きたい!と願うなら、
私は喜んで、お手伝いさせていただきます。
あなたが、あなたであることに心から誇りを持てますように。
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