
こんにちは、柘植かおりです。
「私の人生って一体どんな意味があるんだろう」
「なんのために生きているのかな……」
そんなふうに考えたり、悩んでしまうことはありますか。
私自身はこういうことを考えやすい方で、最初にそんなことを考えたのは小1の時でした。
こうして書いてみると、早熟な部分があるというか……、切ないですね。
同級生が生きる力いっぱいで、キラキラしているのを見て、どんよりしている自分との違いに、かなり絶望した気持ちになったんです。
そこから、
自分って何なんだろう、生きるって何だろう、
と考えて。それを知りたくて、当時は占星術にハマったんです。
自分って何者なの?という答えが欲しかった。
成長するにつれて興味は心理学へと移っていきましたが、ずっと「納得のいく答え」を探していた気がします。
探しても、なぜかピンとこない理由
「生きる意味がわからない」と悩む相談者さんにお話を伺うと、その答えを求めて、
占い、鑑定、自己診断、あるいはお寺に行ったりスピリチュアルなセッションを受けたり……と、
本当にいろいろな道を探してこられた方もいらっしゃいます。
でも、そこで
「あなたの人生の意味はこれですよ」
と告げられたとしても、
なんだかピンとこなかったり、「いや、もっと違う意味があるはずだ!」と疑いたくなったり、
その時は「そうかも」と思っても、時間が経つとまた自信がなくなって、別の誰かに確認したくなる……なんてお話も、お聞きするんですよね。
私自身も占いで「あなたはこのために生まれてきた」というようなことを見てもらったことがあるのですが、当時は「えー、本当にそうなの?」と何となくしっくりこなくて、疑っていました。
自分から聞きに行ったのに信じない笑。
これって何が起こっているのかを考えてみると、鑑定が当たっているかどうかの前に、自分の中で「言葉」と「実感」がつながっていないんでしょうね。
「人生の意味」って、
いわば自分の人生にふさわしい「タイトル」をつけるようなものだと思うんです。
でも、今はまだ、どんなタイトルがしっくりくるのか自分でも決められない状態というか。
それには色んな理由があると思いますが、相談者さんのお話を伺っていると、
心に「フタ」をして触れたくない感情を動かさないようにしていることが、そのタイトルの決めづらさに影響している……という方も、いらっしゃるんです。
「意味」を生むのは、感情という名の接着剤
当然、生きている意味を見つけたいけどわからない、という方が全員、感情にフタをしているからとは限らないんですけど、
ただ、私がセッションで出会ってきた「意味を見つけようとする方々」は、どちらかというと考えることが得意な方が多い印象があるんです。
頭の中で色々考えて、考えることで自分を支えてきた。
でもそれが、感情にフタをしたための「しわ寄せ」であることがあって。
「感じる」ことにフタをしているから、ますます「思考する」傾向が強くなっている、ということもあるんですよね。
だから、一生懸命考えてしまうのかもしれないですけど、意味って頭でいくら考えてもなかなか答えがでないんですよ。
意味は「感情」とセットになって生まれるものだから。
たとえば、なんてことない1本のボールペンが、ある人にとっては深い意味をもつことがあります。
それが大切な人の形見で、かけがえのないものであるとか。
それはそこに「大切な人を想う感情」がのるからこそ、ボールペンに深い意味が宿るんですよね。
「感情」が接着剤のように、対象と自分をつなぐから、そこに意味が形作られるんです。
「意味を知りたい」は、希望への第一歩
そして、どうして感情にフタをするようになったのかというところを見ていくと、
相談者さんたちのお話でも、過去に受けた痛みや、ずっともやもやとしたものが引っかかっていた、というお話が出てくることがあります。
傷ついたり、絶望したり、そんな過去の生々しい傷に何度も触れないよう、フタをして生きていく必要があった。
それこそ「生きている意味なんてない」と思うような経験をしたんですよね。
だからこそ、なんですけど。
そんな中でも、いま
「生きている意味を知りたい」
と思えているということは、
そのフタの奥にある感情、それに紐づく出来事、そこに
「希望があってほしい」
「これまでの経験を無駄にしたくない」
「辛かったことも、幸せへの伏線であってほしい」
そんな願いがあるから、肯定的な意味を求めるのかもしれません。
意味を探し続けてきたあなたへ
そう思うと
「私の生きる意味は○○です」
と、人生に答えを求めるのは、今の自分を支えるための「松葉杖」のようなものかもしれないなぁと思うんです。
結局、誰かに「あなたの人生の意味はこれですよ」なんて答えを提示されたとしても、「自分がそれを心から納得できるかどうか」がすべてなんだってこと、自分でもわかっているじゃないですか。
だから、
「きっと自分の人生には、肯定的な意味があるはずだ」
「これまでのバラバラな出来事が、いつか一本の線につながって、自分だけのストーリーが見つかるはずだ」
そんなふうに、人生のなかに「自分の納得」をどうにか求めようとする。
そして、「意味があるはず」という願いが、時に過酷な現実を、「生きられる現実」へと変換して、支えてくれているんですよね。
あらためて、見てみるとすごい命の営みだなぁ、と思います。
もしかしたら、意味を求めて心の探求をする自分を、脆いとか、頼りないとか、無力な感じに思うかもしれませんが、
むしろ「生命力」そのものですよね。
生きたい。自分の命の価値を感じたい、と。(しみじみ)
…ということで、人生の意味という大きなテーマについて書いてみましたが、
感情にフタをしているパターンの方の場合は、自分と深くつながって、過去の痛みと一つ一つ和解していくと、何かしらの形で腑に落ちる時が来るかもしれません。
でも、もしかしたらその時は、もう意味という松葉杖はいらなくなっていたりして…。
今日も、あなたの幸せを心から応援しています。
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