
こんにちは、柘植かおりです。
皆さんは、自分に対する評価は高い方ですか、低い方ですか?
例えば、自己評価が低い方の場合、ある場面で自分の言ったことが気になって、
「あれでよかったのだろうか」
「もっと気が利いたことを言えたんじゃないか」
と考えてしまったり、
メールに迷いながら付け加えた文言が、
「余計な一文だったんじゃないか」
「かえって相手に気を使わせるんじゃないか」
と気になって悶々としてしまったりして、
「あーあ、自分ってダメだな」と思ってしまうことがあると思うのです。
自己評価の低い方は、ダメだしが頻繁だったり、深かったり、広範囲だったりして、自分がダメだとその都度心に刻んでしまい、しんどくなってしまうのですが、
でもこれが、「自分の評価が低いことからくる苦しみ」ではないかもしれないのです。
どういうことかというと、
「もっといいことを言えたはずなのになんで言えなかったのか」
「これが余計な一言だってなんでわからなかったんだ」
そう思う背景には、
「本当なら」もっといいことを言えたはず
「本当なら」もっと文章の精査ができたはず
という前提があるから。
つまり、表面的には、自己評価が低いように見えるけれど、その奥には、自分に対して密かに大きな期待をしている自分がいる。
もし、
自分なんて絶対いいことなんて言えっこない、
自分なんてそもそも文章力ゼロ、
と心の底から思っていたら、「もっとできたはず!」なんて発想は出てこないはずです。
例えば、偏差値20くらい足りないけど、憧れの大学のキャンパスに行って記念受験したい、と思っている人が、結果不合格になっても、「ですよね」と思うだけです。
自分の力を現実的に見積もっていて、それを受け入れている人は、思ったようにできなかったとしても、大きく落ち込むことは少ないものです。
つまり、「本当ならもっとできたはずなのに、できない自分はダメ」と思うのは、自己評価の「低さ」が苦しみの元というより、
自分に対する見積もりが「高い」ことが苦しみになっている場合があるということです。
見積もりが高いと、自分が今できることが50だとして、現実50できたとしても
「なんで100できなかったんだろう・・・」
と苦しい。
でも本来50できたら自分的には百点満点なはずなんです。でもそれには満足できない。できない自分を責めてしまう。
それに、自分を高く見積もっていると、いつも自分が試されているように感じて苦しくなってしまいます。
いろいろな場面で自分が小さく見えないように気を張ってしまうし、いつも誰かの試験を受けているようで、物事を楽しめなくなってしまうんですよね。
でも、その場を試験にしてしまっているのは、自分なんです。。。
もしかしたら、これを読んで、
「そんな風に自分を高く見積もっていたなんて、なんだか恥ずかしい、、、」
と思う方もいるかもしれません。
でも、そういう 「理想的な自分」が必要だった んです。
自分に希望を持つ必要があったし、そうやって生き抜いてきた。
等身大の自分以上を求められて、自由にのびのび過ごせなかった。
等身大の自分のままで大丈夫、愛されるという実感が少なかった。
だから、
素晴らしい自分を設定することにしたんです。
そして、希望を持って、本当は自分はすごいんだ、やれるんだ、と自分を支えてきたのです。
これは、自分を守る大切な心の機能。理想の自分は、自分の希望であり、愛される自分であり、心の支えなんですね。
人は、何とか自分を生かそうとします。
どんなに自分を否定している人でも、あの手この手で、なんとか命をつなごうとしています。
だから、心の根っこでは、本当の本当には、自分を否定していないということ。
自分をなんとか幸せにしていこうとする力を持っているということ。
誰しも、本当に。一生懸命生きています。
ということで、今回は、自己評価が低い人の中には、こうして自分で自分を支えている人もいるよ、というお話でした。
あなたは、「なんでこんなことも出来ないんだろう!」と自分に思うことはありますか?
あるとすれば、もしかして…??
何か気づきになったら嬉しいです。
あなたの幸せを心から応援しています。
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