「自分の人生っていいことないな」
「むしろ嫌なことばっかり…」
そんな風に思いながら日々を過ごすのは、しんどいですよね。
会社の先輩に仕事を押し付けられた…
出たくないママ友の会に参加しないといけない…
自分だけ上司に理不尽に怒られた…
嫌だなあと思う人に振り回されていると、なんだか毎日がどんよりしていて、力が湧いてこない、そんな感覚になるかもしれません。
私もそういう経験があるので、その感覚、今思い出してもどんよりします・・・。
でも周りを見渡すと、他の人はそれなりに上手に毎日を送っているように見えるので、
「あれ?こんな目にあってるのは自分だけ?」とかなしくなってくるかもしれませんね。
そうは言っても、沈んでばかりではいられないと、
「仕事なんだから嫌なことがあるのも当然」
「ネガティブなことばっかり考えてちゃいけない」
と、なんとか考え方を変えようすることもあるでしょう。
けれども、なかなか心の底からはそう思うのは難しくて、
自分は人と比べてどこか能力が足りないんじゃないか、自分はだめな人間なんじゃないか、そんな思いがふと浮かんできてしまったり。
一方、相反して「でも、そもそもあいつが悪い」と、他人を責める気持ちになるときもありますよね。
「自分は周りの人間のせいで嫌な目に遭っている!」「なんで自分ばっかり!」といういらだちの気持ち。
だけど、そういう気持ちって、表現したらいけないような気がするんです。
そうすると、うっかり顔に出てしまわないように気を使うので、全体的になんとなく素直な感情表現ができなくなってきます。
…と、そんな風に色々と心の中で葛藤していると、もう気持ちの整理がうまくできなくなって、
こんなに嫌な人に振り回されるのは運が悪いからだ!
と思うしかなくなってしまったりするんですよね。
もう自分ではどうしようもない、袋小路に入り込んでしまって解決策がないような感じです。
こうしてみると、嫌な目に遭うという事自体も、悩ましいのですが、
自分ではどうしようもない「無力感」がより気分をうつうつとさせるのではないかと思います。
事態を好転させることが出来ないような感じとか、自分ではどうにもできない感じとかですね。
確かに、もし嫌な人がいたとしても、「なんとかなる」という感覚があれば、気持ちが落ち込む度合いは変わってきそうですよね。
ということで、ここから「なんともならない感じ」を「なんとかなるかも」と思えるようになるには、どうしたらいいのかについて書いていこうと思います。
「なんとかなるかも」という思いがあれば、嫌な人にどう対処するのかしないのか、
振り回されるだけではなくて、選んでいけるようになりそうですよね。
そういった「なんともならない感じ」ですが。
例えば、ダンスを習おう!と教室に行って、先生から「違う」「だめ」「才能ない」と何をやっても否定されたら、やる気がなくなっていくと思うんですよ。
何やっても「違う」と言われると、気持ちがくじかれる感じで。
それと同じで、
何か嫌な人に振り回されるたび、「自分はダメだ」と自分を否定して”×”をつけていると、やっぱり気持ちがくじかれて、なんとかしようという気力より、なんともならない感じが強くなってしまうと思うんですね。
×割り切って考えられないのはダメ
×ネガティブなのはダメ
×怒っているけど表現してはダメ
×解決できない自分はダメ
うーん、こうして並べてみると、もう八方ふさがりな感じがします。
この状態では、相手や状況に振り回されるばかりで、自分ではどうしようもない感じがするのは当然だと思うんです。
でも、人ってすごくて、
どうしようもない感じで心がいっぱいになっていても、
実際には何とかしようと一生懸命やっているんですよ。
例えば、いやな先輩にいやな仕事を押し付けられしまった、という場合を考えてみますと。
内心、
腹立つけど顔に出しちゃダメ、
雰囲気悪くしちゃダメ、
いやな事断れない自分ってダメだなー
とあれこれダメと思ってどうにもならない無力感でいっぱいになっていても、
例えば、
「文句を言わずに我慢して引き受ける」
ということができたりするんですよ。
このおかげで、相手との押し問答で気持ちが消耗するのを避けることができているんですね。
人によっては引き受けた後、体調を崩して早退することになり、結局先輩が仕事をすることになる、なんてこともあるかもしれませんね。
意識していないところで、自分がこれ以上いやな目に遭うストレスを避けることができているわけです。
と、こんな風に書くと、
そんなことで出来ていると言えるの?
何の解決にもなっていないんじゃないの?
と疑問に思うかもしれません。
確かに、何をもって解決とするかによりますが、難局は乗り切ったけれど根本的な解決になっていない感じがするかもしれませんね。
それに我慢したり逃げたりって、一般的に消極的で立派に見えないことが多いんですよね。
でも、これも一つの能力だと思うし、一つの選択であると思うんだけどなぁ。
何もできない自分はダメと否定し続けるって、かなりつらいことだと思うんですよ。
自己否定って、自分に重くのしかかってくるんですね。
あれはダメ、これはダメという思いがどんどん蓄積されて重くなり、それをしょい込んでいるような状態だと思うんです。
この状態って、イメージですけど、手とか足とか自由に動かせないと思うんですよ。
そんな状態で、嫌な相手や状況を変えるような大技って出せないと思うんです。
我慢して更なるごたごたを避けたり、その場から逃げたりするのが、出来る精いっぱいだったりするんですね。
だから、解決能力がないわけではなくて、
むしろ、こんな重りを背負った中でも出来る「最善策」を繰り出しているんです。
こういう状態の人に、
「何にも出来ていない」ってダメだしするのって、
なんともご無体な…と思うんです。
もし友だちが「自分ぜんぜんダメで…」と言っていたら、「そんなことないよ、十分やっているよ」と言葉をかえすのではないでしょうか。
同じように自分にも必要なのは、さらに追い込む厳しい言葉ではなくて、
「ねぎらいの言葉」
だと思うんです。
「よく我慢したねー、お疲れ様―。」
「逃げるのも勇気がいったよね、何とかふりしぼってえらいよー。」
などですね、
そうやってまず自分が自分に声をかけてあげるんです。
なんか、自分で自分に声をかけるなんて、くすぐったいなぁ、と思われるかもしれませんが、
自分で自分にダメ出しするという自分との会話は出来ているわけですから、それをねぎらいの言葉に置き換えればいいんですね。
そうすると、少しずつ気持ちにエネルギーが戻ってきて、背負っている重りも軽くなっていきます。
そしてもう少し自由に体が動くようになってくると、今までと違う行動がとれるようになっていくかもしれません。
そして焦らずに、急いで良くしようと頑張りすぎないでくださいね。
今まで十分頑張ってきているのですから。
少しずつでも、
頑張っているね、
できているよ、
とたくさん「ねぎらいの言葉」をかけてあげてほしいと思います。
それから。
嫌な相手に腹が立つこともありますよね。
本当は、
「お前なんて嫌いだ!」「何で自分ばっかり!」「ふざけるな!」
など、言ってやりたいと思うことをため込んでいるかもしれません。
気持ちが表現できないことってすごく苦しいですよね。
発散できない気持ちを、妄想の中で相手にぶつけることもあるでしょう。
そしてそれが実際には出来ないことにもんもんとするかもしれませんが、それを自分の勇気がないせいだ、とか、自分の意志が弱いせいだ、とか、また自分に×をつける材料にしてほしくないなと思います。
嫌なことを跳ね返さずに受け止めて、自分の気持ちがどんよりとする人って、どこか繊細で人の気持ちに敏感なところがある人だと思うのです。
だから、自分の怒りを相手にぶつけることに抵抗があるし、怖いし、そのやり方は多分自分が本当に望む解決法じゃないということを心のどこかでわかっているから、そういうことができないんだと思うんです。
なので、そういう大胆な行動がとれないことで、自分をジャッジしてダメな自分というラベルを貼らないでほしいと思います。
話が長くなって、まとまりがなくなってきたので、
まとめますね。
○嫌な人に振り回されると自分の無力さを感じるかもしれませんが、今自分にできる事をやれているのも事実です。
○しんどい時、つらい時は、厳しい条件の中で毎日の生活を進めているのだから、自分をたくさんねぎらってほしいなと思います。
というお話でした。
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